2017年2月19日日曜日

万能特急583系・485系 国鉄交直流特急の終焉




2017年のダイヤ改正で485系の最後の定期運用が消滅となりました。そして更に団体臨時として比較的頻繁に運行していた583系も引退が発表されました。こうして国鉄型交直流特急は終焉を迎えようとしています。今回は国鉄型交直流特急の歩みにスポットを当てたいと思います。

583系わくわくドリーム号
583系臨時列車

ビジネス特急151系登場

交直流特急の話をする前に、簡単に電車特急について触れたいと思います。80系湘南電車が運行開始し、長距離列車にも電車化の波がやってきました。

そんな中で需要がひっ迫する東海道線の増発計画が持ち上がり、機関車より軽くダメージの少ない電車での特急という方向が決定されました。そして従来の乗り心地が悪く煩いというイメージを覆すことも目標に、1957年に151系が開発されました。151系は最高速度110km/hで、東京~大阪間のスピードアップに貢献しました。151系は完成時から最高速度に余裕を持って設計されたため、まだまだスピードアップの余地を完成時から残していました。

この時の先頭車両のデザインはボンネット型でした。高速化に伴い空気抵抗を減らすことや、ボンネット部に機器を収納しスペースを有効利用しつつ万が一の事故に対応するためのデザインです。

その後上越線などの山岳線対応車としてモーター出力などを強化した、161系が1962年に登場しました。

初の交直流特急481系

80系を皮切りに長距離列車への電車化の波がやってきたわけですが、それは交直流電車にもやってきました。交直流急近郊型、急行型電車と登場し、最後に登場したのが交直流特急型電車です。

151系をベースにし、仕様的には交直流対応以外はほぼ同一設計で開発されたのが481系です。151系はのちに勾配線区対応の161系が登場しましたが、481系ではモーター出力を120kwとし、最初から勾配線区に対応としました。その他の違いとして回送用の運転台を中間車に搭載し、横川~軽井沢間の将来的に入線を見越し連結器の強化が行われています。

様々な行先の列車を連結する多層列車を念頭に、先頭車両を増解結を考慮した貫通型にするか議論がされました。この時は増発する方向で非貫通型となり、登場時は見た目も151系と殆ど変わらないまま登場しました。

最初に1964年登場の交流50Hz対応型481系、次に1965登場したのが60Hz対応型の483系、その次に1968年に登場したのが今回引退する485系が登場し、最後に横川~軽井沢間の機関車との協調運転装置を搭載した489系が1971年に登場する流れとなっています。

最効率を目指した583系

481系交直流特急電車が登場し日中走る長距離列車の多くは電車になりましたが、寝台列車は客車のままでした。寝台列車に使われる寝台車は、当然日中の旅客輸送には使えないので日中は場所をとります。この当時各路線の需要は増える一方で、車両基地に寝かしておく車両はなくしておきたい状況でした。

ボックスシート運用だった
臨時快速「あいづ」

そこで登場したのが581系で、兎に角人を効率よく運ぶ設計です。車内は夜は3段の寝台とし、日中は向かい合わせのボックスシートとする構造です。編成が複雑にならないように、食堂車を除くとモノクラスの編成です。先頭車両はこの時初めて貫通型となり、この貫通構造が485系や183系と波及していきました。1968年登場の581系は交流60Hz対応、1968年登場の583系は交流50Hz/60Hz対応の形式です。なので、485系と583系はほぼ同時期に登場した兄弟者なのです。

こうした極限まで効率を追求した車両設計は、ここでピークを迎えました。

明暗を分けた未来

昼行特急用として登場した485系ですが、新幹線の登場で幹線輸送の役目終えたこと、短編編成による高頻度運転や国鉄民営化と、様々な時代の変化訪れてもその万能性から様々な用途で活躍しました。短編成を中心としたローカル線区の特急列車、全国どこでも電化区間なら走れる性能を生かした臨時列車やイベント用列車への改造と様々です。さらに国鉄がJRに分割されたことで、全国区を走れる車両の登場が、必要とされなったのも大きかったと思います。

485系3000番台特急白鳥
特急「白鳥」
こうして特急運用としては北海道新幹線開業を期に消滅した特急「白鳥」までと、長い間第一線として活躍しました。この白鳥は最高速度140km/hだったことを考えると、最高速度110km/hでも更に余裕を持った設計だった151系の血脈が、最後まで生きたと感じさせられます。2017年に最後の定期運用である快速運用が消滅した後も、ジョイフルトレインとしては活躍を続け、まだまだ歴史は続きます。

対照的だったのが583系です。極限まで高めた効率性があだとなり、時代の波にのまれてしまいました。特急用としては見劣りするボックスシートに、居住性の悪い三段寝台などで行き場をなくしました。ただ廃車にすることもできず、近郊型列車として改造されました。そして生まれたのが食パン顔の珍車419系や715系です。

ただし、問題があったのは極限まで高めた効率性であり、電車という点ではありません。電車であるが故にどんな時間帯でも運行できるのは、大きなメリットです。一般寝台列車として最後まで残っているサンライズエクスプレスも電車であり、485系同様に電化区間はどこでも走れるというメリットがあるために、今日まで臨時列車としては生き残ることが出来たのも事実です。さらにJR西日本と東日本クルーズトレインも電車であることを考えると、電車寝台自体は間違いのないコンセプトだったと思います。ただ、行き過ぎた効率化が問題だったのです。

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