2023年6月11日で運行を終了する快速 SL銀河の蒸気機関車や客車について解説します。
蒸気機関車とディーゼル車の珍列車
SL銀河は蒸気機関車での運行で、蒸気機関車での運行自体が珍しいものでした。しかし、それだけでなく上り勾配など蒸気機関車だけでは辛い場面では、ディーゼルカーを改造した客車が蒸気機関車を押していく珍しい運行形式でした。客車の老朽化が理由で、2023年6月11日の臨時運行を最後に運行を終了しました。
この記事では車両を中心に紹介します。ダイヤや見どころなどは下記の別記事で紹介しています。
日本で2列車だけのC58形
釜石駅停車中のC58形239号機 |
JR東日本はC57形180号機・C58形239号機・D51形498号機・C61形20号機の4両の蒸気機関車を所有しています。
その中でSL銀河で使われている蒸気機関車はC58形239号機です。電車でも通勤用や特急用といったように役割があるように、蒸気機関車にも役割があります。C58はローカル線用の客車と貨物両方を牽引するための蒸気機関車でした。そのためパワーを抑えて軽くした設計にし、路盤が幹線より貧弱なローカル線に入ることが出来るようになっています。
JR東日本の他の蒸気機関車と比較すると、役割による違いが分かります。C58は他の3車種の機関車より車体が軽く、客車を引くパワーが弱くなっています。速度はC57とC61が旅客用で最高速度が100km/hに対し、C58は貨物用でパワーに割り振っているD51と同じ85km/hで抑えめになっています。
C58形の運行はSL銀河の他、秩父鉄道のパレオエクスプレスでも使用されていて、日本ではこの2列車でしか見ることが出来ません。秩父鉄道で活躍するのは、363号機です。
C58形は431両製造されたので、途中で仕様変更が行われています。383号機以降ではボイラーの拡大や炭水車の容量アップが行われました。SL銀河やパレオエクスプレスで使用されているのは383号機より前の車両なので、言わば前期型と言えるタイプのC58形です。
東北で活躍した239号機
239号機は1940年に製造され、1972年まで活躍した車両です。川崎重工で製造され、最初は愛知県稲沢機関区に配置、1年で奈良機関区へ転属、2年後の1943年には岩手県宮古機関区へ転属し約30年活躍、1970年に盛岡機関区へ、翌年1971年に八戸機関区へ最後の転属、そして1年の活躍のちに休車となり、1972年に正式に廃車となりました。
個人サイトなどを参考にさせていただいたのでやや怪しい部分もあるのですが、所属機関区から考えるに東北地区で活躍するも、釜石線での活躍はあまり無かったようです。宮古機関区時代は山田線・小本線(岩泉線)、八戸機関区時代は八戸線での活躍が中心だったと推測されます。ただ、釜石線でのC58の運行はちゃんと存在していました。
その後盛岡市にある岩手県営運動公園で1973年から2012年まで保存されました。屋外でしたが、屋根付きだったので良い状態で保存することが出来ていました。
そこで東日本大震災の復興支援を兼ねたSL銀河運行計画が立ち上がり、2012年に運びだされ2013年に運転可能な状態へ、2014年にはSL銀河として運行を開始しました。運行可能にするにあたって、当時からあった設備を元にするだけでなく改造も行われました。
C58形239号機のスノプロー 緑色のATS車上子も見える |
まず信号設備をATS-P・Psの搭載、防護無線用にデジタル無線も搭載しています。これによりJR東日本ほとんどの路線を走行可能です。
それに加えて外観の改造として保存時からの変更で、ヘッドライトは形状を変えず違う型番のものに、スノープローを小型のものに、重油タンクのボイラー上から炭水車への移設、集煙装置の撤去を行っています。
スノープロー … 列車の先頭に取り付けられた小型の雪かき
重油タンク … 蒸気機関車は燃焼パワーを上げるために重油も一緒に燃やすタイプも多く存在する。そのために重油のタンクも付いている。
集煙装置 … 煙突に付ける煙の流れを変える装置。トンネル内などで使用し、煙を後ろに流すようにして、機関車の乗務員が煙にまかれるのを防ぐ。
改造に改造を重ねたキハ141系700番台
蒸気機関車と同じぐらい重要なのがキハ141系です。釜石線は太平洋側に急勾配のトンネル区間があり、機関車だけで登ることも出来るのですが、煙が多くなり機関士と乗客両方がきつくなること、雨や落葉の季節は滑りやすくなり列車の定時運行が難しくなるため、客車にもエンジンが付いていて、SLを押し上げます。
そのために採用されたのがキハ141系なのですが、この車両誕生からSL銀河の客車になるまでが、独特な車両です。キハ141系は客車を改造してディーゼルカーにした車両です。なので、客車→ディーゼルカー→客車という変わった経歴を持っています。
苦肉の策で生まれた50系
キハ141系は50系客車が勿体ないという理由で生まれたのですが、まず50系の誕生の経緯も独特なので簡単に紹介します。
50系は国鉄時代に作られた普通列車用では最後の世代の客車です。50系が作られた1970年ごろには、古くなった客車列車は電車かディーゼルカーにする方針で、新しい列車はどちらかを中心に作られていました。ただ、それだけでは更新が追い付かず、貨物の減少で電気・ディーゼルカー機関車余っており、労組との兼ね合いもあって、地方の混雑路線用に、妥協案として作られたのが50系客車です。
そのため通勤列車を意識したお金をかけない構造で、出来るだけシンプルな構造に大型の引き戸の乗降口、つり革のあるセミクロスシートが採用されました。
本州向けが50系、北海道向けに窓・発電機・ブレーキを寒冷地仕様にした51系が、1978年から1982年に作られました。
勿体ないから生まれたキハ141系
札幌駅停車中のキハ141系 |
50系自体が客車からの転換の過渡期に生まれたので、当然すぐに役目を終えていきます。国鉄からJR北海道になり、余った51系を再利用しようとして生まれたのがキハ141系です。沿線の発展で混雑するようになった札沼線向けに、車体をなるべるそのまま再利用し、エンジンを載せてディーゼルカーにしたて上げました。
キハ141系のうちキハ141・142形とキサハ143形は、もっとも安くしたて上げられた車両です。台車は古い急行用のキハ56系からの廃車発生品を利用し、その他の必要部品は新しいものを使っています。キハ141・142形は1990~1995年にかけて作られました。エンジンを持たないキサハ143形は1995年に作られました。
パワーアップ型として、当時最新のキハ150系の部品を使って台車も新しいものを使ったキハ143形も1994~95年に作られました。
そしてまた客車になったキハ141系700番台
釜石線釜石駅停車中の キハ141系700番台 |
そしてSL銀河の運行の時改造用の気動車として白羽の矢が立ったのがキハ141系です。札沼線の混雑区間が2012年に電化されたので、気動車であった141系が余る状況となっていました。それに目を付けたJR東日本がJR北海道から入手した流れです。JR北海道からエンジン付きのキハ141・キハ143形1両づつと、エンジン無しのキサハ144形2両が導入されました。外観・内装と走行機器両面から改造が行われました。
キハ142-701 車両により様々な星座がデザインされている |
見た目の改造は宮沢賢治の銀河鉄道をモチーフに改造されています。外観は青をベースに星座がデザインされました。
改造されたボックスシート |
内装は元の通勤仕様から、古い客車風のボックスシートへ変更された他、車内販売のあるラウンジカーやミニプラネタリウムが設置され、完全に観光仕様に変更されています。
走行機器はキハ141・キハ143形共にエンジンが換装され、信号システムをATS-SnからJR東日本用のATS-Psに変更、防護無線をデジタル式に交換されました。
それに加えてSL専用の装備として、SLと情報をやりとりする機能が追加されています。協調運転時に信号システムのデータのやり取りが出来るようになった他、デリケートなSLの車軸の温度を客車側から監視するシステムが搭載されました。
SLはまだまだ走れるが客車は本当に厳しい
SL銀河の運行終了後の車両の行方ですが、機関車は何らかの形で活用され客車は廃車という流れになりそうです。
先ほど紹介したようにキハ141系は、40年前に製造された客車をベースに改造して生まれた車両です。更に走っていたのが北海道で、雪により腐食しやすい環境でした。もちろんSL用に改造するにあたって改修もしていますが、今後さらに走るのであれば更なる改修が必要になってくると思われます。
一方で機関車のほうはJR東日本であればどこでも走れるよう改修されているので、元々長期で使用されることが想定されていると思われます。
ただ、客車については改修してから10年程度なので、もう少しは走れてもおかしくなかったと思うので、JRの経営状況で前倒した感も否めないところもあります。
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